早慶附属高校への道~我が家の場合~

2018年春、長男は早慶附属高校に入学しました。中学受験か高校受験か。日比谷高校か早慶附属高校か。親子でさまざまな思いがありました。次男は中高一貫校の高校生になりました。。思うままにつづっていきます。

大きな一歩~2018年2月10日~続き

2019年1月22日(火)

本日は慶應附属高校、推薦入試書類審査の発表日でしたね。
女子高は、入試日でしょうか。

お疲れ様です。

書類審査に通った受験生。
明日、面接ですね。

残念だった受験生。
辛いですね。。


長男は本日から学校立ち入り禁止。
3連休。
長男が家にいると、次男はご機嫌(^-^)。
べったりくっついています。


さて。

昨日の続きです。

昨年の話です。ご注意ください。
2018年2月10日。
慶應志木の一次合格発表は、私が見に行きました。
長男の意向は事前に確認しました。

私「塾高の試験が終わった後に、志木に向かって自分で見る、という選択も可能だよ。どうする??
1時間ちょっとかかるけど。」

長男「お母さんが見てきていいよ。」


塾高→志木高→自宅→塾→
そして、次の日は志木の面接または早稲田学院。

負担が大きいですので、さすがの長男もこの回答。


志木の一次試験合格を確認し、掲示板の写真を撮った私は、そのまま帰路へ。


塾高の入試が終わるのは予定では13時40分。
長男はきっと、試験が終わり電車に乗って落ち着いてからlineをしてくるでしょう。

その連絡を待とうと思いました。

万が一、何かが起きて、テストの時間がずれ、テスト中に私からのline音が鳴ってしまったら、恐いと考えて。(考えすぎです(^-^;)


そして。

長男line「終わった。電車。」

私。志木の受験票と、発表掲示板の写真を送信。

長男line「受かったんだ」
「小論文やらなくてすんだ」

(ガクッ。そこ??)


そして。
帰宅したらすぐに塾から電話がありました。
長男、次男と5年間お世話になっている先生。

先生「慶應志木の発表日でしたが、どうでしたか。気になりまして。」

私「あっ、先生。すぐに連絡せずに申し訳ありません。受かりました。。」

先生「よかったですね~」

私「はい。信じられません。あれだけ、できなかったと、言ってましたので。」

先生「志木は毎年そうなんですよ。できなかった、ってみんな言います。」

私「そうなんですね。。先生、明日の面接ですが、今夜、対策をお願いできますか。」

先生「もちろんです。帰宅したら、早めに塾に来てください。」


ふ~。。

塾への連絡、気になってはいたのですが、
まずは長男に知らせたかったこと、
報告するなら本人からが良いのかな、と思ったこと、
塾は受験番号を知っていますから、結果はもうご存じかもしれない、と勝手に考えたこと。

これらの理由ですぐに連絡しませんでした。


大きな大きな一歩。

舵は切られました。
もうこのまま進むだけ。
後戻りはできません。

帰宅した長男。

長男「数学が簡単だった。ほぼできた。」(塾高)

私「そうなの~?よかったね」

長男「いや、あれは、みんな出来てるよ。なんであんなに易しくなったんだろ」

私「へぇ、、、、」

私「明日は志木の面接いくよね??先生から電話があったよ。練習しますから、来てくださいって。」

長男「ああ、そうするよ(^-^)」


長男の様子から、本日の慶應義塾の試験の感触は、かなり良かったのだろう、と察しました。

数学の難易度が本当に低かったかどうかは、私にはわかりません。
しかし、志木の時のような「失敗」はなく、力を出しきれたのでしょう。

過去問の出来も、本人からチラチラ聞いている感じだと、相性がよかったのか、まずまずで、何とかなるかもしれない、と思っていました。

(塾高も一次試験は、通るかもしれない。)

期待しつつ、

(いやいや、そんなに甘くない。落ち着いて。)


10日の夜、何人かの先生が何度も面接の練習をしてくださったようです。

車で迎えにいった時、
先生に激励されているであろう長男の笑顔が、見えました。


いよいよ、明日は慶應志木、面接。
早稲田大学高等学院、さようなら、そして、ありがとう。
どんな結果になろうとも。
悔いなし。


ふ~。

早慶附属合格は、簡単には手に入らないのだな。
厳しさを感じた2/10でした。。


どうか、みなさまも無事に受験日が迎えられますように。

あなたと、あなたの大切なご家族を陰ながら応援しています。。