早慶附属高校への道~我が家の場合~

2018年春、長男は早慶附属高校に入学しました。中学受験か高校受験か。日比谷高校か早慶附属高校か。親子でさまざまな思いがありました。次男は中高一貫校の高校生になりました。。思うままにつづっていきます。

日比谷高校か早慶附属高校か~その③~

こんにちわ。
お子さまたちは元気に登校したでしょうか。
我が家の朝は毎日バタバタ。
息子たちは前日から学校の準備なんて、もちろんしませんよ〜。。
朝、しかも出かける直前です。ひどいときは、お友達による「ピンポーン」が鳴ってから、準備してましたから、忘れ物だらけですよ。。トホホ。
長男の通っていた公立中では、忘れ物も点数化。
評価に直結します。いまはどこもそうですかね。
最初はイライラして、あれこれ言いましたが、途中からあきらめました。
私が育ててきた我が子なんだと。
そんな息子に誰がした、私なんだと。


さて、テーマである日比谷高校か早慶附属高校か、です。前回の②では、内容がテーマから少々ずれてしまい、失礼しました。
文章力がなくて、お恥ずかしいです。そんなブログを読んでくださってありがとうございます。
今後も、そんな感じかと思います。
ご容赦ください。。

①で、早慶をめざすことになった最大の理由としてワセアカの存在をお話しました。
理由というより、きっかけですね。
ワセアカの高校受験合格実績は、業界で圧倒的です。数字だけ見ると、とにかくワセアカに入ることが、難関校合格への近道と誰もが思うのではないでしょうか。
ワセアカは塾名の通り、早慶附属高に合格するための塾として、スタートしています。
そのスタンスはいまでも健在だと、
5年間通って再認識しました。

派手な看板はもちろんのこと、
塾内にも、合格実績のポスター、卒業生の合格先短冊が貼ってあります。
日比谷高校くらいしか、高校名をしらなかった長男でも、塾に行くたびに「早慶」の文字が自然に目に入ってきます。気になってくるのは当然の流れでした。
それは、親である私も同様でした。

そして、ある時、長男は言いました。
「附属にいきたい。大学受験したくない」と。
たしか、中2の時でした。

長男は5年生の時は
ワセアカの中学受験コースにいました。
しかし6年生になる前に撤退し、
中学受験はしませんでした。
そのあたりはまたの機会に書きたいと思いますが、
さまざな葛藤がありました。辛かったです。
その後6年生でも、英語だけワセアカ。ちょっとレベルの高いものでした。
他の教科は他塾に通っていました。
小学生が週2回、一人で電車にのって、
御茶ノ水や池袋まで。
ソロバンも準1級までとりました。
そして、中学準備講座から、がっつり、ワセアカです。


春休み、夏休み、冬休みのなどの長期休暇は、5年生からずっと塾の講習でした。


早慶合格を果たしたとき、この経緯をきいた友人は言ってくれました。
「偶然じゃない、必然の結果だね」と。
私はその時思いました。
「そっか、そうなんだ、息子はがんばったんだ」と。
そんなお子さんは、たくさんいるとは思います。
現に、ワセアカの上位層は、中学受験経験者が多かったんです。

息子は、決してガリ勉ではありませんでした。
中学のときは、塾の宿題をやってこない、先生泣かせの生徒でした。
サボりすぎて、クラス落ちも経験しています。

しかし、きっとそんな生活に疲れていたのでしょう。
その都度、話し合い、納得して、進んできたつもりでしたが、
私が追いつめていたのかもしれません。
思い出しただけでも、泣けてきますね。。

必死に頑張って日比谷高校に入学しても、
またすぐに大学受験。

「楽にしてあげたい」
「大学受験がなかったら、母もどんなに楽か」
「行きたいところにいかせてあげたい」

心の底から、私も思うようになりました。

そう考え始めたら、附属への思いは、私も止まりませんでした。
そして、附属高校のことを知ろうと、いろいろ調べました。
知らなかった魅力にあふれていました。

ある人に言わせれば逃げたのかもしれません。
そして、国立大学出身で研究者の夫を納得させるのは、容易ではありませんでした。
いまでも時々「日比谷に行かせたかった」とつぶやくのですから。。
がんばりましたよ、母は。
大事な息子のことですから。


これは我が家のケースです。

みなさん、それぞれ、ご家庭の事情があると思います。受験は大変です。陰ながら応援しています。

本日はこのあたりまで、、。